しりぬぐい    もどる


 教師が子ども達に対して負っている責任は重い。担任をしたとすれば、1年という決められた期間で、子ども達一人一人に身に付けさせなければならないことが必ずあるからだ。それには、各教科、道徳、特活、総合的な学習などの学習内容をはじめ、日常生活における基本的な生活習慣、普段の授業での学習習慣などたくさんのことがある。それらのことを教師一人一人が確実に子ども達に伝達したり身に付けさせてあげたりしなければならない。
 そういった重い責任をそれぞれの教師が負いながらも、それを全うし、次の担任へとバトンを渡していくこととなる。ほとんどの場合はそのバトンは確実に渡っていく。もちろん、それが教師の務めであり、当然のことである。
 しかし、時には当然のことが当然のようにつながっていかないこともあるようだ。(こういうことは、組織的に確立しておらず、全教師の共通理解・共通実践が図られていないような学校にありがちだと思われる。)その学年の内に身に付けなければならないような最低限のことも身に付けさせないで、バトンを渡された時だ。つまり、前担任の「しりぬぐい」を任された時だ。そんな時は大変だ。渡された教師は、当該学年の内容はもちろん前学年の内容、下手をするとさらにその前の学年の内容や生活習慣、学習習慣をも任されることとなるのだ。そして、そんなことは当の子ども達や保護者などには分からない領域にあることだ。そんな時、任された教師は悩むだろう。
 そして、悩んだ末教師は、2つのタイプへと分かれる。1つは、どうせどうやってもよくならないのだからと、諦めようとするタイプ。そして、もう一つは、子ども達のために何とか最後まで頑張って子ども達をのばしてあげようと思うタイプ。前者のタイプは、教師として失格だと言わざるを得ないが、実際に自分がその立場になったらどうだろうか?もしかしたら、前者のタイプに陥ってしまう人が正直言って多いのではないだろうか。
 しかし、教師たるもの、やはり後者であってほしい。しかしながら、実際にはこのタイプには、この後に迫る障害は計り知れないものがある場合が多い。例えば、普通なら言いたくもないような厳しいことを心を鬼にして子ども達にぶつけていかなければならなかったり、決められた授業時数の中で当該学年以外の内容の復習を常に入れながら進めていかなければならなかったりと、人には分からない苦労を重ねることになる。そして、その苦労は、子ども達や保護者にはもちろんのこと、同僚たちにさえ、伝わらない。それどころか、心ない同僚や保護者には、その担任の真意をねじ曲げたようなことが伝わり、その苦労が報われないこともある。本当に辛い立場である。
 しかし、そんな立場に陥ろうとも、やはり、教師は後者の立場でありたい。なぜなら、その苦労は、必ずや子ども達のためになることであり、その教師にとっても「しりぬぐい」などと言うことではなく、教師を人間としてさらに成長させる糧になると言えるからである。
 こんなことを書く私であるが、実際にはなかなか後者のようにはなりきれない。しかし、これだけは気をつけたい。少なくとも、不十分なままでバトンを渡すような教師にはならないと。
                                    2002. 1. 7

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